「待て、小僧」
いささか横柄に来儀を呼び止めたのは、長く美しい銀髪を持つ男、ニチエライトだった。
ゾルマ市で不定期開催されるイベントが終わりを迎え、熱気冷めやらぬまま人々が散り散りになっていく中でのことだ。
先程まで行われていた、相手の頭の上の旗を取るという大会。最後まで生き残っていた来儀とニチエライト、一対一の勝負の最中で、問われた言葉は今でも耳に残っている。
——いつまで人間のフリをしている。
言われた瞬間、心臓が凍った。
重ねて、自覚を促す言葉を畳み掛けられた来儀はその後、少なくとも普通の人間ではありえない振る舞いをすることになったのだが。
来儀は居心地の悪さから無視しようとして、しかしそれを許さないのが、後ろから近づいてくる男だった。なにせ、来儀が目を背けていたかったことを、容赦なく突きつけてくるような輩だ。仕方なく、来儀は男へと向き直る。
「……なにか用」
「用というほどではない」
じゃあ呼び止めるなよ、と思ったのが顔に出たのか、ニチエライトは鼻で笑った。
「そう嫌がるな。私は貴様に礼を言いに来たのだ」
「礼?」
そのわりには随分と偉そうな態度である。紅運の方がまだ偉そうではない。彼の方が暴君ではあるが。
思考を逸らした来儀を咎めるように「聞け」と告げた男は、そのまま続ける。
「しばらく歯応えのある者に出会っていなくてな。良い運動になった」
「はぁ……?」
何を言っているのだこいつは。そう思いかけたところで、ふと思い出す。紅運がニチエライトを『体を動かすのが好きな暴力的な男』と評していたことを。
なるほどと納得しかけたところで、ニチエライトが苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「あの男の評価を改めるように言っておけ」
「……もしかして君って、頭の中が読めたりする?」
「貴様が分かりやすいだけだ」
はあ、とため息を吐いた男は「まあいい」と表情を戻す。
「私の言葉を受け入れたということは、多少なりとも自覚はできたか」
「……」
ニチエライトという男は、紅運も認めるほどに腕の立つ男だ。この世界であの男の目の前に立ち続けられる者は、きっと数えられる程度だろうとも言っていた。そんなニチエライトの前に立ち続け、互角の戦いができてしまった来儀もまた、そっち側の人間であることを意味している。
それを、目の前の男にはっきりと告げられ、自覚を促された。確かに、あれほど危険な目に遭ってきたのに来儀も紅運も生き残り続けている。ずっと運よく、そう思ってきていた。紅運の言うことを鵜呑みにし続けていた。
だが、もしも来儀の望みを汲んで紅運が気を遣ってくれていたのだとしたら。本当は来儀があの危機を全て排除していたのだとしたら。
来儀はきっと、数多の人間の命を踏み躙ってきた。バケモノらしく、自分のためだけに。都合良く、それを見ないフリをして。紅運だけに、その負債を負わせてきたことになる。
きっと来儀は、自分が紅運と同じであることを望むばかりに、目を背け続けてきたのだろう。
だってそうしなければ、そばにいる資格がなかった。
「何も、私は貴様を責めているわけではない」
思考に沈む来儀の耳に、ニチエライトの淡々とした声が届く。自然と俯かせていた視線を、高い位置にある男の顔へと向ける。
真っ直ぐすぎる金の瞳が、来儀を貫く。
「己を生きるのであれば、何が出来るのか、自身は何なのかの自覚が必要だ」
揺るがない男の言葉が、来儀へと叩きつけられる。
「望みを知り、叶えるには何が必要かを理解し、己の腕はどこまで届くのかを判断したうえで 、」
眩い月のような瞳が、細まる。
「ヒトは、己が何を成せるのかを知るのだ」
「……」
「貴様はその在り方でもって一体、何を成す」
その問いに答える何かを、来儀はまだ持っていない。紅運と共に在りたい。それがこたえだ。来儀はそれしかいらない。だが、それは答えではないような気がした。もっと、別の、途方もない何かが口を開けて待っているような。
「——先は長い。歩み続ければ、いずれ辿り着くだろう」
言いたいことを言い終えたのか、ニチエライトは踵を返す。白く大きな背は、呼び止めなければ振り向くことをしないだろう。否、呼び止めたとて、必要でなければきっと足を止めることもしない。それが、あの男の生き様だ。振り返ることなく、光のように走り抜けていく。
きっと来儀も。
いずれは、全てを振り払って、振り返ることなく走り続けなければならない。そんな日がくる。
来儀は確信にも似た何かを胸に抱き、去りゆく背中を見送った。
2025/07/07
お題はX企画『文披31題』よりお借りしました。