黒い空に、月が昇っている。弓なりにしなった、細い月だ。
最後かもしれないのなら、まんまるな月が良かったと、少女は細く息を吐く。黄金に輝く瞳は、ずっとそばに居てくれた幼馴染の、真っ直ぐで優しい瞳を連想させてくれる。見守られているような心地がして、とても好きだった。
少女は、バケモノと呼ばれた証である、桃色の瞳を瞼で隠す。
恐ろしい怪物、私たちとは全く違う生き物。村に生まれた少女は、村人たちから異形と蔑まれ、両親がいないことも村人たちの悪意と暴力を加速させた。
毎日体に傷を作り、心を殴られる少女に唯一優しくしてくれたのが、幼馴染とその家族だ。元々彼らも流れ者だったからだろうか、少女を村人の一員として扱ってくれた。
そんな辛い思いでも多い故郷の村には、一つしきたりがある。
それは、若い娘を百年に一度、山の中の祭壇に生贄を捧げなければならないということ。儀式と呼ばれる行為をしなければ、村に災いが訪れ、地図から消えてしまう、と言われている。
今日がその百年目にあたる日だ。
少女は今日、この身を捧げて、村を、村人を、幼馴染を守らなければならない。成功しても失敗しても、少女には先がないというのに。
それでも、少女が瞼裏で思い描くのは、この儀式の後の輝かしい未来だ。儀式を成功させて、さらに生き延びることができたら。幼馴染と二人、村の外に出るという約束をした。きっと楽しいことも、今以上に辛いこともたくさんあるだろう。そうして、知らないことを二人で一つずつ知っていく。そんな未来。
少女は小さく笑みを浮かべる。
つい数日前までは、こんな希望を胸に抱くことなどなかったというのに。幼馴染の父親が外から客人を連れて来なければ、少女が生にしがみついてもいいと思うこともなかっただろう。
客人の一人は底に抜けに明るくて、生きることの尊さと楽しさを教えてくれた。そして、もう一人の少年は、少女の可能性だ。
少女は生まれてからずっと、自分は孤独であると感じ続けていた。それは、幼馴染といても付き纏うもので、薄れはしても消えはしなかったものだ。
——私とあなたは違う。
そんな考えがずっと消えず、村人の言葉が染み付いた生だろうかと考えもしたが、この気持ちはそれよりももっと奥から響く声だった。
同じ人間がいないという途方もない孤独。世界にたった一人放り出された違和感を抱え続けていた少女の声は、少年に出会った瞬間に消えた。
同時に、この少年は自分なのだと気づいた。きっとそれは、少年も感じただろうと分かってしまう。世界に二人といない、同じ存在だから。
もう一人の自分と出会った少女の視界は、急激に開けた。
自分と同じ存在がいて、同じ世界を生きている。それは少女にとって、何よりの救いだった。
全く違う生き物の隣に、当然のように並び立つ少年と、それを受け入れる男を見せつけられて、少女はひどく感銘を受けたのだ。そうしてもいいんだと胸の内が煌めいた。
村の恐怖を支配する悪神を封じるためだけに生かされてきた少女。村のために歌い、村のためにこの身を捧げる。それが、少女の生きる意味だった。
でも、今は違う。
少女は瞼を開けた。
——今夜私は、自分のために踊る。
少女は空に浮かぶ月から視線を落とし、祭壇の上の像を見据えた。
世界を知る前だったら、少女は使命感だけでこの場所に立っていた。それなのに今は、自分の欲求のために、自分の意思で、自分だけの生きる意味を持って立っている。地に足を初めてつけたような、震えるほどの高揚感に包まれている。
失敗すれば死ぬ。きっと前よりも、成功させるのは難しい。
でも、まるで怖くはないのだ。
だって隣には、何よりも信頼の置ける自分がいる。
「——では、はじめましょう」
少女は強く胸を張って、力強く宣言した。
2025/07/05
お題はX企画『文披31題』よりお借りしました。