「ようこそカヴァナ修道院へ。歓迎いたしますわ」
透き通る声で、白い女は言った。
山の上にある、吹雪によって閉ざされていたカヴァナ修道院。皇竜と呼ばれる竜を敬い、その存在に到ることができるように祈りを捧げ、修行を続ける場所の一つ。皇紅教と呼ばれるこの宗教は、カヴァナ修道院のある雪国に住む人々に浸透し、いまでは生き方の根底に敷かれている。
そんな場所に、紅運と来儀はやって来た。何故、吹雪く山を命からがら登ったのかというと、だ。
まず大前提として、男は好奇心が強い。不思議なものなど、興味を惹かれたモノに躊躇いなく足を踏み入れ、首を突っ込み、手を伸ばしてしまう。
そんな男がここに来た理由。それは、この地に『あらゆる病気を治す御子』がいるという噂を聞きつけたからだ。
さらに興味を引いたのは、御子の噂と同時期に流れ始めた『ルリスーシャ』という御子ではない謎の存在と、行方不明者が多数発生しているという話だ。
もちろん、もしかすると来儀の体質も治せるかもしれないという淡い期待もあり、足を運ぶことになった。
噂の真相は、ルリスーシャという存在が、実在していた御子に成り代わり、悪さをしているのではないかと思っていたのだが。
実際にそこにいたのは、哀れな女だった。
かつて聖女と呼ばれていた女、テレジア=ホワイト。自らの太陽を亡くしたことで道を見失い、ついには人とは呼べぬ生き物に成り下がってしまった堕ちた聖女。太陽を取り戻そうと足掻き、決して届かぬ夢を見た白き女。その最期はせめて、安らかなものであったと思いたい。
吹雪がやみ、日が照る修道院の燃え跡が目立つ敷地に並べた、簡易的な墓地を眺める。目の前にあるのは両手で数えられるほどだが、肉体すら残らなかった被害者も中にはいるだろう。その者たちは、これからも行方不明者として紙面の上で生き続けるのだろう。
不幸に不幸が重なった、悲しい事件。人間の想いが呼び寄せた、業。
男の耳に、鈴のような女の声が蘇る。
『わたくしはね、世界に生きるすべての人がせめて、苦しい思いをしないで済む、そんな世界を作りたいと思っただけですわ』
あれはきっと、かつての聖女の本心だ。正しくそうあろうとした残り滓の願い。
皮を被った何者かに、その願いを歪まされてしまい、行使していたのだろう。
「——紅運さん」
背後から凛とした声が届く。
振り向いた先には、赤毛の少女が日記を抱えて立っていた。顔にかかった大きな丸メガネの下の表情は、どこか寂しげだ。
「……それ、お友達の?」
「ええ」
少女は抱えていた日記の表紙を、優しく撫でる。
「これは、私が大事に抱えていかなければならないものなんです」
少しの沈黙のあと、少女は毅然と顔を上げた。
「修道院のみんなの生きた証を、深い愛のすべてを、今度は私が誰かに伝えていかなくては」
強い決意を秘めた声に、男は何も言えない。少女のような熱い何かを、男は持っていないからだ。ただ、強いなと、そう思った。
言葉を継げない男を見兼ねてか、少女は雰囲気を和らげて笑う。
「偉そうなことを言いましたけれど、何もできなかった私が、みんなのために出来るのはきっと忘れないこと。みんなの生きた証を残すこと。ただそれだけ、というだけなんですけどね」
男はそれに、曖昧に笑い返す。
何者にも侵せない、澄み切って響く音のような意思。これからどんな悪意という暴風にさらされたとしても、彼女はその響きを濁らすことはないだろう。
「あ、そういえば」
少女は何かを思い出したように頷いた。
「来儀さん、目を覚ましましたよ」
2025/07/02
お題はX企画『文披31題』よりお借りしました。