最近はよく、自分とは何なのかを考える。 もちろんそれは、男が記憶喪失の類だからというわけでもなければ、思春期特有の自我の確立過程でもない。とうにそういった時期は通り越しているし、紅嘉は自身の生い立ちも、これまでの人生も、何が好きで、何が好ましくないか。紅嘉自身のことを、よく理解しているつもりだ。 ただ、最近はそれは本当に自分のことなのか、自信がなくなってきている。 紅嘉はあることをきっかけに、とある男——自分の前世と言える存在の記憶を思い出してしまった。そのこと自体に文句をつける気はない。紅嘉が大事にしたいと思っている来儀という青年に、かつてしてしまったこと、出来なかったことを思い出せた。その点では感謝していると言ってもいい。 だが、昨日の事のように思い出せてしまう数百年も前の記憶のせいで、時折自らを前世の男——紅運であるかのように錯覚してしまうのだ。 来儀からの視線も、自分ではなく紅運に向けられているのではと疑ってしまう。紅ちゃん、と紅嘉を呼ぶ青年の声もそれに拍車をかけていく。 分からない。紅嘉という男が、本当にそこにいるのかが。 それは奇しくも、かつて紅運としてあった男が抱いていた悩みと同種のものであり、それがまた疑念を一層深めている。 ずっと来儀を求めていたのも、紅嘉という男の想いではなかったのではないか。 紅運という男の記憶を取り戻した以上、自分は紅運であり、——紅嘉という男は、もう必要ないのではないか。 来儀に肯定してもらえるなら、きっと己は紅嘉としてそこに在れるのだろうと思う。だが、当の青年は笑顔だけを浮かべて、男のことをただ「紅ちゃん」と呼ぶ。 乞えばいいのも分かっている。しかし、紅嘉と呼んで欲しいと言って、否と言われるのが恐ろしい。その瞬間に己が、紅運という存在に上書きされるのが分かっているからだ。 自分は紅嘉なのか。それとも紅運なのか。 男は二つの記憶の狭間で、物言わぬ空想の中の青年に、救いを求めてずっと縋っている。 2025/07/21
お題はX企画『文披31題』よりお借りしました。