The Moon

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浮き輪





来儀らいぎ〜! 来儀はさぁ、泳げるか?」
「……なに、突然」
 教室の隅にある自席にひっそりと座っていた来儀の横に立って、紅嘉くれよしは尋ねた。
 来儀は、その愛想のなさからかは分からないが、学校中からイジメのようなものを受けている。
 陽の光に当たると焔の色に見える髪のせいか、はたまた珍しい水色の瞳のせいか。冷たいともとれる態度のせいか。あるいはその全てか。とにかく、来儀は学校にいる全ての人間からよく思われていない。
 転校してきてまもない紅嘉ですら、すぐにその空気を読み取れてしまうくらいには、あからさまだった。
 しかし、そんなことは男に関係がない。仲良くしない方がいいよなどと言われても、紅嘉が仲良くしたければそうするだけだ。
 感情の乗らない目が男を見上げている。今日は、話を聞いてくれる気はあるようだ。
「いや、今度海水浴に行こうと思ってさぁ。準備しないとだし」
「……それが、なんで私が泳げるかに繋がるの」
 小さな溜息を吐かれた。紅嘉は、そんな来儀の態度の悪さをものともせずに笑う。
「そりゃ、来儀も一緒に行くからに決まってるだろ!」
「はぁ?」
 いよいよ来儀の眉間に皺が寄る。常の無表情よりもずっといい顔をしている青年に、紅嘉は何故だか楽しくなってきて、さらに笑顔を深める。それが気に障ったのか、来儀は嫌そうに顔を背けた。
「行かないよ」
「なぁんで! どうせ暇だろ〜!?」
「決めつけないでくれないかな」
 どれだけ冷たくされても、なんだか新鮮な気持ちで嬉しくなってしまう。男は、別に被虐趣味があるわけではないんだけどな、と自問自答しながら、来儀の肩に手を回す。
 途端に、腕を跳ね除けられてしまった。
 あんまりな反応に、驚いて見下ろせば、青年のほうが驚いたような顔をしていた。じっと見つめていれば、段々と顔を青ざめさせて、ついには俯いてしまう。
「あー……、来儀?」
「……」
 返事は無い。
 今日はもう、しばらく会話は出来そうにない。
 時々、来儀にはこういう時があった。
 肉体的な接触が無理なのかと思えば、何かの会話の最中にもなる。嫌がる、というよりも、怯えているというのに近い。
 来儀は自分のことは語りたがらない。だから、何があってそうなっているのかは、男には分からない。だが、そんな顔をして欲しくないと、強く思う。
 ——出来れば笑って欲しいんだけどな。
 男がそう思った時、ちょうど予鈴が鳴った。
「あ、授業か。じゃあ来儀、あとでな」
 なるべくなんでもないように声をかけて、その場を離れる。来儀を見つめる、クラスの視線が痛い。
 男が近寄れば、その分だけ来儀は傷ついているのかもしれない。それでも紅嘉は、来儀だけは放っておけないのだ。
 何故かなんて分からない。
 ただ。
 その理由は、心の奥底で眠っている、——そんな気がしている。

2025/07/18

お題はX企画『文披31題』よりお借りしました。