産まれたばかりの赤子のほうがまだマシなのではないか。男は目の前の惨状を直視しながら、ぼんやりと思考に目を向けた。
日当たりも良く、広さも十分にある部屋の壁際に置かれている、天蓋付きのベッド。その上には痛みにもがく少年の姿があった。獣のような絶叫をあげる少年の傍で、甲斐甲斐しく診察を続ける医師の姿。馬鹿みたいに力の強い少年の両手足をベッドに縛り付けていなければ、実現しない光景だ。
現実逃避気味に思考を続ける男は、部屋に備え付けてある椅子に座り、傍らの机に肘をついてただ医師と少年の攻防を眺めている。
「(あいつ、本当なんなんだろうなぁ……)」
偶然迷い込んだ施設の片隅で、殺され続けていた少年を見つけたのが出会いだ。心臓に杭を打たれてもなお、生き続けていた少年に、好奇心を大きく擽られたのは記憶に新しい。好奇心に導かれるまま、気まぐれに救いの手を差し伸べ、救いを求められたからこそ、こうして二人は男の自宅にいる。
拾った当初は、少年の目が覚めたらあれこれ話を聞こうと思っていたのだが、目覚めた少年の状態はそんな悠長なことを言ってられるようなものではなかった。
痛みに苦しみ、血を吐き、暴れ、しばらくして唐突に意識を失う。その繰り返しで、話を聞くどころか、会話を試みることすら不可能だったのだ。
男のかかりつけの医師に原因を探ってもらおうと、診てもらい始めて数日経つが、手負いの獣のような状態では診察できる時間を十分に取ることはできず、いまだ特定はできていない。
「(……得体の知れないバケモノ、ねぇ)」
男の周囲にいる者たちは、少年を見て口々にそう言った。危険生物かもしれないから捨ててこい、などと。どうしてそんなことができようか。こんなにも面白そうなものを捨てる、など。
どんなに危険なモノだとしても飼い慣らすことが出来たなら、いまより面白いだろう。退屈でつまらない人生にも、少なからずハリがでるかもしれない。
男はまだみぬ未来に思いを馳せながら、ただ少年の暴れる様子を見つめていた。
「(——なぁんて、思ってたんだけどなぁ)」
「ちょっと紅ちゃん! 聞いてるの?」
「お〜」
紅ちゃんと呼ばれた男——紅運は、耳に押し当てた通信機器から聞こえる声に、おざなりに返す。心ここに在らずな様子に気づいたのだろう、声の主はくどくどと説教を始める。
「そうやって聞いてないのに返事するのやめなよ。いつも言われてたでしょ。適当に返事をして、変な言質を取られたらどうするんですか、とか」
「おー、わかってるわかってる」
「またそうやって」
どうにも口うるさい、この電話の向こうにいる人物は、あの日会話すらできなかった少年だ。医師がどうにか原因をつきとめ、薬を用意したおかげで、少年は日常生活を送れるようになった。
当時、会話が出来るようになったと、男が喜んだのも束の間。実は少年には以前までの記憶がなく、ほとんどまっさらな状態だったとは。随分とがっかりさせられた。
おかげで容易に、男にだけ心を開かせられたのだが。
「まさかなぁ」
「なに?」
思わず漏らした声に、少年が反応する。
「いや、予想以上だったなと思ったわけ」
従順なだけの生き物になるかと思えば、意外にも男に意見をしてくるようになるとは。少年が男に、信仰心のようなものを決して小さくない熱量で抱いているのを知っている。にも関わらず、少年は男の行動に口を出すのだ。やれ、危ない。やれ、大事にしろ。
それが不快というわけではない。むしろ、心地よいと思っている男がいる。
そういった言葉は周囲から聞き飽きるほど貰ってきたのに、どうにも少年の言葉はむず痒く感じてしまう。
言葉に違いは無いはずなのに、なにかが決定的に違うのだ。
こうして怒られることにすら、厭う気持ちがない。
こんなこと、予想できるはずなかった。
「怒られるのが分かってたなら危ないことはやめなよ……」
呆れた声に、紅運は笑みを浮かべた。
「まぁまぁ、それよりまだか?」
まったく反省の色を見せずに急かせば、少年は一つ溜息を落としたあと、答えた。
「……もう着くよ」
地面に向けていた目線を、街へと向ける。言葉の通り、ビルの間に走る道路の先に黄緑色をした姿が見えた。——少年だ。
男は笑顔で手を挙げた。
「よぉ、来儀!」
2025/07/01
お題はX企画『文披31題』よりお借りしました。